松 明 を も り た て る 会



長さ10m、重さは3tの大松明の作成や、指導・運搬に取り組まれている「松明あかし」を支える ボランティアグループです。

毎年10月上旬ごろから、大松明・姫松明作成に向け活動されています。



 
 【松明あかし】とは?
 今から428年前の天正17年(1589年)6月、伊達政宗は会津黒川城主(若松城)芦名氏を滅ぼし、その余勢をかって須賀川城を攻撃しようとし、密使をつかわしていました。
 この時須賀川城主は、二階堂盛義の後室 大乗院で、政宗の伯母であり気丈な戦国女将でもあり、また、政宗が攻撃した会津黒川城主 芦名氏は、大乗院の嫡子である盛隆が城主として迎えられており、滅ぼされた時の城主 芦名義広は大乗院の孫であったこともあり、政宗に降伏することは心よしとはしませんでした。
 政宗の計略を知った二階堂家家臣や領民たちは、手に手に松明を灯し、町の東の丘(十日山)に集まりました。そこで決死の覚悟で須賀川城を守ることを決議し、城主である大乗院に進言したのでした。


 「松明あかし」はこの戦で討ち死にした多くの人々の霊を弔うため、新しい領主の目をはばかり、ムジナ狩りと称して続けられ、須賀川の伝統行事となった火祭りです。
 昔は、旧暦の10月10日に行われていましたが、今では11月の第二土曜日に須賀川二階堂家の戦死者のみならず、伊達家の戦死者を含めての鎮魂の想いと、先人への感謝の気持ちを込め五老山で行われています。